宮﨑駿の企画書

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内容は下記の6つから構成される。

1.タイトル(1つor2つ記載されている)
2.配給方法(デジタルドルビー、110分など)
3.顧客層(もののけ姫の場合、小学生以上すべての人々と掲載されていた)
4.時代設定(もののけ姫の場合、室町時代)
5.企画意図(原稿用紙ページ半分から1枚ほど)
6.解説(原稿用紙4〜5ページほど)

スタジオジブリでは映画ごとに一言でいえるテーマがある。トトロでは人間と自然の共生、火垂るの墓では命の尊厳といったような具合である。
この5の企画意図と6の解説で、実はそれらは企画の段階から説明されているのである。

もののけ姫の企画意図はシンプルにまとめるとこう書かかれていた。

もののけ姫(1997年)では、中世の枠組が崩壊し近世へと移行する動乱の室町時代と、21世紀に向けての動乱期と重ね合わせていかなる時代にもかわらない人間の根源を描く。と

そしてそれを補足するものが解説である。
解説では時代背景のポイントや主人公はどういう設定かが記載されている後にテーマについてはこのように書かれていた。
室町は動乱の時代、戦国時代とも一所懸命な鎌倉時代とも違う
もっとあいまいで、人間と自然の区別がなく、このような時代
人々の生き方は、21世紀の混乱の時代を生きる人たちのヒントとなる
世界の問題を解決するつもりはない
山を切り自然を破壊するため、ハッピーエンドはありえない
憎悪の中にもいきるにも値するものはある
出会いや美しいもの。
かくべきは少年の少女への理解と
少女が少年に心を開いていくこと

 

私が感銘を受けたのは「生きる意図、働く意図」が構想の段階からあったのかということだ。
いま、なぜこの企画をやるのか?それが日本にどうなるのか?
これは仕事でも同じ、この意図をどの範囲まで、自分の周りなのか、日本なのか?世代なのか考えるというのがとても大きなことだと思う。範囲が大きければ大きいほどいいというものではない。その時の自分たちの適切な範囲である。

宮崎駿も実際にそうだった。天空の城ラピュタ時の企画意図は、本来のアニメーションを取り戻す。そこからすこしずつ意図がかわってきて、もののけ姫、千と千尋(生きる力を取り戻す)、風立ちぬというように考える範囲が大きくなっていく。

【学】宮崎駿の企画の流儀〜ジブリの大博覧会2016で見たジブリの企画流儀とは?〜

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和貴の風車

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この夏休みは和貴の生活科の宿題、というものにも頭を悩ませた。

生活科の宿題というのは、生活の中で関心があるものを観察して、なんらかのかたちにまとめて報告したりする、というものだった。

観察するのはまだいけると思う。たとえば今年から持つことができた畑に住む虫をできるだけ調べ、カメラで撮ってプリントアウトし、紙に書いてまとめる、とかいうことも不可能ではないかもしれない。

でも、先に言ったように本人は「書く」ということをとても嫌がる。文章を綴ることがもう少し得意になってきだしたら、好きになってくれて、どんどん自分から書いてまとめたがるのかもしれない。でも今は好きじゃない。どうすればいいのか。 (さらに…)

「漫画が好きだから」だけでは戦えない

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質問者4 世の中には、漫画家や音楽家で、売れたいと思って、いろいろ描いたり、活動したりしている人がたくさんいると思います。その中で、なかなか売れなかったり、うまくいかないなどと悩んでいる人も、たくさんいると思うのですが。そういった人たちに対して、実際に売れるためにどんなことを意識すればいいのか、教えてください。

川窪 漫画家さんでいうと、「実現したいことはなんなのか」「実現したい自分はなんなのか」ということを考えることだと思っています。

新人の漫画家さんによく「なんで漫画家になりたいの?」というと、「漫画が好きだから」「漫画家に昔からなりたかったんで」といった答えが返ってくるのですが、それだとかなり厳しいですね。

漫画を描いて「どんな自分になりたいのか」、漫画を描くことが「どういった目的のだめの手段となっているのか」ということを考えないと、漫画はうまくならないというか、売れないのです。

諫山さんでいえば、日々付き合っていて思うのは、彼は「人に後ろ指をさされる人生は、絶対送りたくない」と思っているように僕には見えています。「かっこいい人間になりたい」というよりは、「かっこ悪い人間になりたくない」といった気持ちが、彼の中にはすごく強い。それを実現するために、漫画を描いているようなところがあります。

それは、なんでもいいのいいんですよ。なんでもいいのだけど、そういったものが、漫画を描くことの隣というか、先にないと、いい作品は作れません。

もし、今、うまくいかない子や売れなくて悩んでる子に関していうなら、「漫画家になってなにがしたいの?」「漫画を描いて、どういう自分になりたいの?」というようなことを考えることかなと思っています。

それをしたところで、99%の人がうまくいかないというのは現実ではあるので。そのことは残念ながら、そうした世界なのだということを認識して出発しないと怖いですよ。そのように思っています。

『進撃の巨人』担当編集が語る、漫画づくりの出発点「“漫画が好きだから”だけでは戦えない」 – ログミー

 

辞書は言葉を断罪するものであってはいけない

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次に、私は国語辞典が権力を振りかざすということをやめたいんです。辞書というのは、なにか偉い権威のような存在として今まで考えられてきましたね。誤った言葉を見つけて、それを正すという役目を期待されている部分がありましたし、今もあります。

「辞書で『この言葉は間違い』と書いてあるから、間違いだよ」というような議論がよくありますね。たしかに、「この言い方は誤り」と厳しく書く辞書はあるんです。さっき『岩波国語辞典』を褒めたんで、今度は批判しようと思うんですけどね。
(会場笑)

例えば……「確信犯」とはどういう意味でしょうか? 『岩波国語辞典』を見るとこう書いてあります。「政治的・思想的または宗教的信念に発して、それが(罪になるにせよ)正しい事だと確信して行う犯罪」。でも、現在私たちが普通に使っている「確信犯」の意味は、「悪いとわかっていて、それでもやる」っていうことですね。

「岩波」(『岩波国語辞典』)はそれについてどう書いてあるかというと、「1990年ごろから、悪いとは知りつつ(気軽く)ついしてしまう行為の意に使うのは、全くの誤用」って書いてあります。(会場笑)
「全くの」ときましたね(笑)。きついですよね。単に「誤用」ならまだしもわかるんですが、「全くの」ってどこからきたのか、よくわかんないんです(笑)。

でも、これは1つの情報ではあります。「1990年頃からそういう使い方がされてるんだよ」ということがわかってありがたいんです。ただ、「全くの誤用」と本当に言えるかということです。

今は相当多くの人が、「悪いと知りつつ、それをやっている」という意味で使ってます。「じゃあ、多くの人が間違った日本語を使っているのかな」「みんな、間違った日本語を使ってダメだね」と考えなきゃいけないのか。私はそうは思わないんです。

辞書は「あなたのこの言葉は間違い」「そんな言葉はない」と、簡単に言葉を断罪するものであってはいけない。断罪するのは簡単ですが、別の面から見れば間違いではない、ということは非常に多いんです。

 

「辞書はコミュニケーションの仲介役」 国語辞典編集者が地道な作業で志す“言葉の相談相手” – ログミー

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ログミーの長文コンテンツが読まれる背景

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川原崎 ログミーの当初の動機は「動画を見るのが面倒だから作った」だったんです。しかし、後からいろんな人が「全文書き起こし」にいろんな意味付けをしてきたんですよね。例えば「メディアによる編集を省くことで捻じ曲げられていない本当の情報を伝える」とかですね。最近すごく感じているのは「なぜ全文書き起こしみたいな長い文章をみんな読むんだろう?」と。でもこれは、テレビが嫌われていることと同じ理由かなとも思っているんです。要するに、編集物に対する気持ち悪さです。生放送のほうが好き、素人がダラダラしゃべっているのを見るほうがおもしろい、というものですね。

青木 わかります。

川原崎 「では、編集の役割とは?」となった時、究極は映画のような超リッチなものを作って、ユーザーを2時間も映画館に縛り付ける、その上お金をもらうようなコンテンツを作るやり方。そしてもう1つが、編集されていながらもナチュラルに見えるものを作る。それでいうと「北欧、暮らしの道具店」のやり方はすごく似ているなと感じました。

青木 今おっしゃった「編集物に対する不信感」は、おそらく「個人の内発的な動機づけ以外のもので生まれるコンテンツに対する不信感」とも言い換えられる気がしています。だから、僕らの「個人動機駆動で……」の話になるのは、それ以外のものに対する不信感があまりに大きいからですよね。それ以外のものでやる長期的な合理性がないんです。それでいうと、僕自身が「どうしても個人の動機づけでやりたいんだ」ではないんです。根本的にいうと、合理性のあるものをやりたい。合理性があり、難易度の高いものを美しく作りたい。それだけなんです。

川原崎 そうですね。

青木 目的に対する手段の選択を、それほど意識していないというか。でも、今の世界の中で最も合理性高く美しくやろうと考えた時、おそらくそれは整合性をとれるエコシステムになっている。それは、やっている本人がつじつまを合わせようとすると成立しないんですよね。

「変数が多いのに矛盾していない」事業を目指す クラシコム・青木氏の経営観 – ログミー

大量生産メディア時代の終わり

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複雑なものを、複雑なまま評価すること。こんな当たり前のことが、ようやくできる時代になった。安価かつ大量生産されるメディアを一般大衆に届けることで成り立っていた出版産業(週刊誌、文庫、新書など)の全盛時代は、終わったと言ってもいいと思う。これからは「限られた人に、限られた情報を届け」、メディアを媒介に人や情報の多様な流れをつくる時代ではないか。

商業出版に携わる編集者がこれまでやってきたことは、専門分野の著者の言葉を、大量生産メディアを通じてより多くの人々(大衆)に届けるという仕事だった。しかし、これからの時代の編集者の仕事は、ある限定されたコミュニティで交わされる情報の流路やメディアのかたちを戦略的に生み出していくことだと思う。

本誌編集発行人の仲俣暁生さんと一緒に、昨年よりローカルメディアにまつわる講座を続けてきたが、その流れの中で、地域デザイン学会でローカルメディアフォーラムというものを立ち上げることになった。12月2日には、荻窪・6次元で第一回目のフォーラムが開催されるので、ご興味ある方はぜひ参加してもらいたい。

ローカルメディアの隆盛は、一過性のブームではなく、マスメディア研究の枠内を超えて、「人間の感覚を拡張する技術」としてのメディアの本質を指し示してくれるものだと思う。僕たちは、情報を一方的に大衆に届けるマスメディアを前提とした「メディア」の考え方を捨てて、人と人が相互に情報を交わし、異なるコミュニティをつなぐ広義の「メディア」を考えるフェーズに立ち会っている。「ローカルメディア」のブームは、メディアの価値観を新たにするためのきっかけにすぎない。ツイッターか、インスタグラムか、などなど、1〜2年で覇権が入れ替わるソーシャルメディアの勢力図に右往左往している場合ではない。

群雄割拠のメディア戦国時代を楽しく乗りこなしていく、そんなツワモノが各地で生まれては消えていく、それらの生を看取り、場合によってはプレイヤーとしてアリーナに参戦する、そういう、編集や出版の仕事にこれからも携わっていきたい。

 

第7回 地域のクリエイティブはどこにある? マガジン航[kɔː]

クラウドファウンディングと先行販売のちがい

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よく聞かれるのが「物乞い」じゃないのか、とか「先行販売のサイトだよね」という声です。有名人を担いで既存のファンをターゲットにお布施を募る様な内向きなお金集めや、単なる先行販売(先行割引商法)をクラウドファンディングと呼んで行うのは、プラットフォーム側は一番簡単で一番儲かりやすいんですよね。

でも、これまでの一般の流通に乗るようなものをかたちを変えてすごそうに見せているだけで社会に何の影響も与えないなら、クラウドファンディングの“ロマン”みたいなものはそこにはありません。クラウドファンディングの本質は、「公からお金を募る覚悟と心意気があり、そして結果に公共的なロマンがあるのか」ということ。

だから逆に言えば、ひたむきさとロマンがあれば、先行予約という形態をとっていても、そこには製作者と応援者のフラットな関係があり、公からお金を集める大義があるものになると思います。

 

クリエイティブな社会をつくるために、みんなの“舞台”を増やしていく。クラウドファンディングサービス開始から6年。「MotionGallery」と大高健志さんのこれから | greenz.jp | ほしい未来は、つくろう。

夏休みの宿題(1)

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小学校一年生の長男・和貴の夏休みの宿題が大変だった。

無論、我々両親は我が子に勉強させることについては熱を入れている。ダメだからと言って放ったらかしにする気は毛頭ない。でも、長男は記憶することがとても苦手で、ひらがなを覚えるのも苦手。よって、日本を読むどころか書くことも現在けっこう大変である。

そんな中、小学校に入ってはじめての夏休みの宿題が出た。結構出た。「ほんとうにこんなボリュームを1年生がやるの?僕らの1年生の頃って、こんなに宿題あったか?」と疑いたくなるくらい、結構な量が出た。

厄介なのは、計算ドリルのような「問われたことを解いていく勉強」ではなく、「自分で考えて答えをつくっていく勉強」のほうだった。つまり作文だ。
夏休みの宿題には、その日あったことを一言だけ書く一行日記と、お気に入りの日だけ描く絵日記、朝顔の成長記録を絵と文で書いたりする宿題があった。それらも自主的に書くというのはまだまだ難しく、親がインタビュー的に「今日は何日?」「今日は何をした?」と聞いて、答えたことをまず親がひらがなで書いて、それを読んで書いてもらう、という作業を続けた。

その中では、読書感想文が一番大変だった。

(さらに…)

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やりたいことで、やっていこう

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6月からベーグルをやめてカンパーニュばかりを焼いていたところ、先々週いきなり「予約」というものが初めて入った。喜多の安心市に卸してるレーズンのカンパーニュをホールで3つ。僕に電話で問い合わせたかったが連絡先がわからず、ネットで検索しても出てこなかったから、店に「次に焼いて持ってくるときに3つとっといて」という予約を頼んだ、とのことだった。
そうか、予約か。それだと欲しいパンが欲しい分だけ手に入るから、たしかにいいな。こっちも売れ残るということがなくなるし。そう思って焼いて納品した。

 

するとついこの間の夕方、突然見知らぬ番号から電話がかかってきた。

(さらに…)

学び

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気をつけないとなと思うんですよ。だからこそ、「なにかのため」に学ぶんじゃなくて、学んでいる時間や空間そのものが充実していて面白いことが大事だよな、と思う。ちがう。寝るんだった。寝る!

 【西村佳哲
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