ご飯をつくるということ(2)

in 思考の果実

妻が帰宅してからは、今度はレシピが逆になった。当然母乳育児になるので、油脂や乳成分が多い食事はNGなのである(胸がすぐに痛くなるらしい)。基本的に全て和食というオーダーが下された。

そこで「とにかく味噌汁は毎食必須」ということで、出汁を取り続けて味噌汁を作りつづけた。最初は日頃妻が使い続けているかつお節や鯖節を使い続けた。見た目にも香り的にも出汁が出ているようすがわかりやすく、僕にも作りやすい。序盤はこれだ、と思ってガンガン出汁をとり、出汁殼はどんどん冷凍庫に入れていった。(溜まった出汁殻で佃煮のをつくった。子供たちに好評)鰹節・鯖節はとても使いやすかったが、すぐに無くなってしまった。

和食をつくってみてはじめてわかることだったが、とりわけ煮物をつくろうと思うとやたらと出汁が必要なのだった。それも一品一品けっこう中途半端な量だけ求められる。でもこの出汁を抜いて醤油や味醂だけでつくったら美味しないんやろうなあ……と思いもしたので、とにかく毎食の味噌汁の量だけ出汁を取るのではなく、1リットルとかまとめて出汁を取る日々にスイッチしていった。だから鰹節はすぐに無くなった。

ある日の昼食。妻はごはんに味噌汁に納豆と、里芋と黒ごまの煎り煮。男三人は前日のカレーをカレーうどんに。まだ産褥期前半。

親子丼はずいぶん上達した。うちは玉ねぎを入れる。妻は薄味。僕は濃い味(子供にもウケる)

寝たきりの妻の指示を受けながら、家に残っている出汁の材料を探し回った。子供たちは、とくに長男は幼少時から味噌汁が好きではなく、試行錯誤の結果、鰹節の出汁で取った味噌汁だとまだ少しは飲むことがわかり、それで鰹節や鯖節ばかり使っていた。だから時折誰かからいただく昆布やいりこは食料貯蔵棚の中に入れたままだった。
それを全部引っ張り出してきて、無事を確認し、今度は昆布やいりこで出汁をとろうと頑張った。でもこれらは鰹節と違って全然「張り合い」がないのだった。昆布は水から入れて沸騰する前に取り出せ、と言われても、出汁に色もついていないし「これ本当に大丈夫か?」という疑心暗鬼に駆られてたまらなかった。いりこも同様で、湧いても鰹節ほど色もつかず香りもせず、「これ本当に美味しいんか?」と常に思ったものだった。

いろいろとネットなどで調べて、「昆布やいりこの出汁は一晩水に浸けて『水出し』にすればいい」ということがわかった。ああ、こりゃあ便利だな、ということが自分でやってみて理解できた。味もしっかりと出ているし、長男の味覚も刻々と変化しているのかどうなのか、子供たちも鰹節以外の出汁での味噌汁を飲んでくれるようになった。だから今もこの出汁で味噌汁をつくってる。

「和食はなにかと出汁が必要」ということと、「何ごとにも最初は大変でも、あえてそこに飛び込んで試行錯誤し続けると、何かええもんが得れる」ということ。それが今回の料理担当交代劇によって感じたことだった。

つづく

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