ご飯をつくるということ(3)

in 思考の果実

怒涛の4月が過ぎ行き、5月になった。妻も家の中でようやく立ち上がって歩けるようになり、料理は徐々に妻が担当してくれるようになった。

家族みんなの料理を毎日三食自分で作ってみて、特に大変だったのは「調理のタイミングをいかに図るか」と「毎日の献立をどう組み立てるか」というところだった。

ご飯を炊いて味噌汁を作り、主菜と副菜をふたつかひとつかつくってそれらすべてを熱々の状態で出す。毎日毎日それを目指してはいるのだが、2つ口のガスコンロでそれを全うしようと思うと、どの料理をどの順番で作るのか、そのためにはどの下ごしらえをどの隙間に入れていけばクリアできるのか、などということをずっと考えながら作り続けなければならなかった。和食の副菜をつくろうと思うといちいち出汁が100mlとか50mlとか必要になり、「出汁の使いまわし方」も頭を悩ませた(前回参照)。
さらにうちには炊飯器がなく、圧力釜でご飯を炊く。だから、まずガスコンロは圧力釜がひとつ占領することになり(ご飯はおかずと比べたらはるかに冷めにくいから)、最初にご飯を炊きながら出汁を温め、味噌汁の具材を入れて味噌を溶く前の味噌汁を先に作っておく。それから副菜をつくり、肉や魚といった主菜を最後に焼いたり煮たりする。そんな流れができあがっていった。僕の中で。

少なくとも主菜の肉や魚、そして味噌汁やスープは熱々で出したい。いや出すべきだ。そしておひたしはむしろ茹でたてじゃないほうがいいだろう。また、熱くないとは言ってもサラダのキャベツを真っ先に千切りにしてしまうと、器の中に水分が出てきてべちゃべちゃしたドレッシングの薄いサラダになってしまう……でもサラダはつくりたい(ラクに一品つくれるから)……。そんな「温かさや手間の優先順位」を自分の中でつけて、どれが「温め待ち」でどれが「最終火入れ」なのかとかを考える。そしてどこらへんが自分の中での「ギブアップポイント」なのかも考慮に入れながら、「ああ!もう!じゃがいもでこの料理作ろうと思ってたけど、もうめんどいし子供もうるさいから、塩ふって焼いただけでええわ!」みたいな、時間と感情の臨界点との付き合いが、自分の中で起こっていた。だが、幸いにもうちのガスコンロには魚焼きグリルがあったのでここで焼き物などもつくったり、オーブンで主菜の焼き料理を焼くことで、なんとかこのパズルゲームのようなややこしい調理をまかなったりした。

たとえば二人暮らしをしていた頃だと、二人前の料理を作ればよかったので、量も多くなくそれほど難しいことではなかった。しかし2人の子供がけっこうな量を食べだすと、とたんにつくる手間が複雑になった。世のお母さん達は夫や子供の見えないところで毎日これに悪戦苦闘されてるんだな、ということを、自分でやってみて初めて気づいた。

毎日の献立をどう組み立てるのか。これもとても悩ましいことだった。カレーやパスタ、チャーハンやオムライスなどは、作るのはとても楽だ。親子丼もうまくできたし、子供用に辛くない和風麻婆豆腐丼や焼きそば、お好み焼きなんかも楽に作れた。
でも、思いつくままに「やりやすい料理」を作り続けても、すぐにレパートリーが頭打ちになるのだった。そもそも油をよく使う洋食や中華は妻はまだ食べられないし、和食の定食のようなものを望んでくる。きんぴらごぼうや筑前煮、おひたしなどは作り置きができるからじゃんじゃん作ったが、それらは往々にして子どもたちが食べたがらないものばかりだ。妻が納得して子どもたちも食べられるストライクゾーンに球を放るとなると、本当に球種が限られていた。「なんでや……。3日前も肉じゃがだったやないか……。なんで作ったんや俺……」という状況にすぐ出くわした。たとえメニュー的に「完全セーフ」で作りやすいものがあったとしても(例:肉じゃが)、それを毎日続けるわけにはいかない。毎日同じゲームをしていてそれほど飽きないし、毎日同じ恋人に会っていてもおそらく飽きない。でも、毎日食べるものに関しては「(妻が提示し、子どもの食いつきもよいという)条件にかなってるんだから、毎日同じ料理でもいいじゃない」というわけにはいかないのだった。
うちは幸いにも牛乳を飲まず、牛乳やバターを使う料理もほぼほぼなかったので、産褥期が経過していくにつれて「油をできるだけ少なくなるよう努力してつくった洋食」などを妻がOKしてくれたので、徐々に子どもの食いつきもよい洋食を少しずつ出すことができた。

最終的には神山鶏の胸肉を削ぎ切りにして「ピカタ」を揚げれるようになった。嬉しくてこの夜は「ピカタ祭り」開催。

子供の頃から母に「今日の晩御飯なに?」と呑気に毎日聞いていたが(今も妻に聞くが)、世のお母さん達は夫や子供の見えないところで毎日献立に悪戦苦闘されてるんだな、ということを、自分でやってみて初めて気づいた。家族のための料理は大変だ。スリリングでエキサイティングで、ひとつ間違えたら「いただきます」を言う前に子供たちが恨みがましい視線を投げ掛けてきたりもする。でも、「美味しい!」と喜ばれると本当に嬉しい。これからも少しずつ作っていけたらな、と思う。

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