辞書は言葉を断罪するものであってはいけない

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次に、私は国語辞典が権力を振りかざすということをやめたいんです。辞書というのは、なにか偉い権威のような存在として今まで考えられてきましたね。誤った言葉を見つけて、それを正すという役目を期待されている部分がありましたし、今もあります。

「辞書で『この言葉は間違い』と書いてあるから、間違いだよ」というような議論がよくありますね。たしかに、「この言い方は誤り」と厳しく書く辞書はあるんです。さっき『岩波国語辞典』を褒めたんで、今度は批判しようと思うんですけどね。
(会場笑)

例えば……「確信犯」とはどういう意味でしょうか? 『岩波国語辞典』を見るとこう書いてあります。「政治的・思想的または宗教的信念に発して、それが(罪になるにせよ)正しい事だと確信して行う犯罪」。でも、現在私たちが普通に使っている「確信犯」の意味は、「悪いとわかっていて、それでもやる」っていうことですね。

「岩波」(『岩波国語辞典』)はそれについてどう書いてあるかというと、「1990年ごろから、悪いとは知りつつ(気軽く)ついしてしまう行為の意に使うのは、全くの誤用」って書いてあります。(会場笑)
「全くの」ときましたね(笑)。きついですよね。単に「誤用」ならまだしもわかるんですが、「全くの」ってどこからきたのか、よくわかんないんです(笑)。

でも、これは1つの情報ではあります。「1990年頃からそういう使い方がされてるんだよ」ということがわかってありがたいんです。ただ、「全くの誤用」と本当に言えるかということです。

今は相当多くの人が、「悪いと知りつつ、それをやっている」という意味で使ってます。「じゃあ、多くの人が間違った日本語を使っているのかな」「みんな、間違った日本語を使ってダメだね」と考えなきゃいけないのか。私はそうは思わないんです。

辞書は「あなたのこの言葉は間違い」「そんな言葉はない」と、簡単に言葉を断罪するものであってはいけない。断罪するのは簡単ですが、別の面から見れば間違いではない、ということは非常に多いんです。

 

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