和貴の風車

in 思考の果実

この夏休みは和貴の生活科の宿題、というものにも頭を悩ませた。

生活科の宿題というのは、生活の中で関心があるものを観察して、なんらかのかたちにまとめて報告したりする、というものだった。

観察するのはまだいけると思う。たとえば今年から持つことができた畑に住む虫をできるだけ調べ、カメラで撮ってプリントアウトし、紙に書いてまとめる、とかいうことも不可能ではないかもしれない。

でも、先に言ったように本人は「書く」ということをとても嫌がる。文章を綴ることがもう少し得意になってきだしたら、好きになってくれて、どんどん自分から書いてまとめたがるのかもしれない。でも今は好きじゃない。どうすればいいのか。

そこんとこも夏休み直前の面談で先生に聞いてみた。
すると「なんでもいいです。まとめなくてもいいです。和貴なら得意な工作でもいいですよ」
と言うではないか。

工作は確かに得意だ。レゴやラキューなどは、「最近は図鑑で見た乗り物をレゴやラキューで再現する」というのを趣味としているくらいだ。

でも、レゴでは夏休みの宿題にはならない。

どうしようかなあ。ダンボールを切ったり貼ったりして何かつくるか?とかも思った。が、ダンボールを切るのは意外と技術と力が必要で、こういうときは「キレイなアウトプット」をとにかく目指さないといけないと個人的には考える。「やりたいだけやりました」ということも大切だと思うけれど「子供なりにでも、キレイな表現のモノを生み出しました」ということを経験させてやりたい。「けっこうガチャガチャしたきたないモノだけど、一生懸命がんばったから、これでいいじゃない」という感覚でものづくりをしてほしくない。何かの役に立つものでなくてもいい。ただ美しいだけでもいいから、とにかく「今の自分ができる、最上級にキレイだと自分が思えるもの」をつくってほしい。そう考えた。だから、「それを自分でやりやすい素材」を選ぶ必要があると思った。

で、夏休みの間、ずっと息子と話し合った。「なにかをつくる」という宿題に絞るとして、何を使って、何をつくりたいのか。出てきた答えは「働く車」「機関車」「風車」だった。

メカニカルでなにか「動き」のあるモノ、重機臭のするモノが好き。ごっつい関節が動き、タービンや歯車が回る。車輪やキャタピラが回る。ピストンが動く。そういうものをつくりたい。

難しい。それは難しいぞ息子。単なるオブジェではダメなのか?とそれとなく聞いてみたが、首を縦に振らなかった。

妻は「引っ越してから郵便箱がまだないので、郵便箱を作って」などと言っていたが二人で速攻で却下した。生活必需品をつくるために夏休みの宿題があるわけじゃない。

どうしようかなあ。ダンボールや裏紙が家にはいちばん多くあるけれど、それで工作をつくっても「子供の技術」だとどうしてもアウトプットがしょぼくなることは想定できてしまう。じゃあ何か素材をホームセンターとかで買ってきて、それで工作するというのもアリはアリだけど、面白くない。「森口家の生活」にて出てくるモノで、たとえば廃材とかで作れたら一番手っ取り早い。

すると息子は「コンプレックスの木は?」と言い出した。

コンプレックスの木

なんのことかというと、シェアオフィス「神山バレー・サテライトオフィス・コンプレックス」内にあるファブラボ「神山メイカースペース」に置いてる神山杉の廃材のことだった。僕もこのメンバーに入っているので、よく子供のおもちゃなどを思いついたらレーザーカッターで切っていたり、入所していたときは育児の一環として子供も遊びに連れて行きながら仕事をしたりもしていた。連れて行くと、レーザーカッターの端材を、自分で折ったりセロテープでくっつけたりして「なにか」をよく作っていた。それを使うのはどうか、と言うのである。

それはいいな。と思った。ダンボールを長くまっすぐに切るというのは技術が要るが、すでにレーザーカッターで切られている端材は「パキパキと短い部分を折るまたは切る」という作業ばかりで、「長くまっすぐに切る」という作業はおそらくない。「すでにあるもの」をつかって、ダンプカーなり風車なりを見立てるように作っていけばいいわけだ。

そこで息子とさらに話し合った。どうやったら、「つくりたいもの」を美しい形で、本人だけでもできる楽なやりかたでできるのか。
廃材を見たところ、だれかがコースターを切ったり箱の部材を切ったりしたのか、同じような縦横幅の端材が多かった。だったら「そのサイズ」を基本にして、それに合わせて切り貼りし、積層による長方体をつくり、そこに車軸と羽根をとりつけたら風車になるのではないか。ガシガシに切り取られた後の端材を6枚見つけて立方体の6面として貼り合わせるのは、自分には難しい。けれど、積み重ねて立方体をつくるのは自分にもできるし、切り取られた後の部分が重なり合うところが、とてもグッとくる。自分でゆっくりと言葉を選びながら、和貴はそう言い出した。

というわけで、端材を家に運び出し、和貴の風車づくりがはじまった。まず基本形となる端材をひとつ選び、それに合わせて木工用ボンドで端材を貼り付けていった。最初はプラスチック用の小さいノコギリで切っていたが、やっぱり切るのに時間がかかるため「枝切りとかに使う短いノコギリが欲しい」と言い出した。買ってきて基本的な切る姿勢を教えて、切ってもらった。
最終的にはそれでも切るのがしんどい、と言い出し、カッターでも十分に切れることがわかり、カッターで切りながら貼り付けた。

羽根が回転する部分をどうしようか。それには以前、息子たちのためにレーザーカッターで「神山杉製のタイヤと車軸受け」をつくったことがあったので、「あれをこうしてこうしたら風車がまわるで」と和貴が言い出した。具体的にどうするかをさらに詳しく聞き出して、たしかに構造上全然OKだったので、軸だけホームセンターで買ってきて、うまく通した。

羽根も端材をつかった。ただ、羽根だけはキレイな長方形を貼り合わせたい(端材をそのままつかうとなんだかボロボロな風車になるから)と和貴がリクエストしてきた。

全部を自分でやりたいという気持ちはあるが、どうしても「今の自分にはできないこと」が必要ならば、それは自分から他人にきちんと頼む。それはたぶんこれから先仕事をするにあたって絶対に必要なことだ。今回のこの宿題では「どこまでを自分でやり、どこを父親に頼みに来るのか。どのように頼みに来るのか」を見たいと思っていた。
「じゃあ切るからどんなふうに羽としてくっつける?」と僕から質問し、会話を重ね、「板をこんな形に切ってくれたら、自分はこういうふうにくっつけると、触っても折れない外れないものができるはず」と和貴から提案してくれた。

「完成形」「ゴール」が見えていて、「それを現実化するには、こんな道具を使って、こんな形の素材を用意して、こんな手法を用いるとできる」と最初に考えて、実行する。それが息子の特色というか、性癖のようなものだった。イチから順番に行ったら、最終的にこんな形ができる、というやり方が性分的に苦手。だったら、性分的なレベルで苦手だったらいっそそれは無理強いさせて教えなくても良くて、性分的に気分の良いほうに特化させて練習させる。実施させる。遊ばせる。どうせ夏休みの宿題をするのならばそうしよう、と狙った宿題だった。

 

で、できたのがコレだ。

森口和貴作「風車」

風車うしろ姿

「ひたすら積層させることで出てくる複雑さ」が大好きらしい

いつか、だれかが彫った、鳥。

こんまい屋さんが彫った、すだち(よく見たらこんまい屋のサイン入り)。

レーザーカッターで箱を作る時に出てくるこの骨のような端材が特に気に入ってるらしい。

ここにいくつスペーサーとしての丸をかますのか、軸を受けるパーツは何枚の何組がいちばん安定するのか。和貴なりに考えてこのような答えを出した。

 

あきらかにやりすぎ。親も引くくらい、やりすぎ。