その場所で常に人を迎えている

in 思考の果実

今日は徳島市にある「ナガヤプロジェクト」というお店にてパンを販売させていただいた。パン屋部門のモリグチャウダー、今年最後のパンの店頭販売だった。

ナガヤプロジェクトとは、その名のとおり2棟並ぶトタン板外装の長屋をいい感じのショップ群にリノベーションしたお店のこと。そこで今月から月2日パン屋として出展させていただいてる。今年は2日しか出店させていただいておらず、とにかくデザイン部門の年末進行が重なっててパン焼き仕事にどう考えても無理がたたってしまっていて、「こうすればもっとお客さんが来てくれるかも」というアイデアは宙に浮いたまま、年内の仕事は終わってしまった。
来年からは、たとえばベーグルのサンドイッチによるテイクアウト可能なランチや、何種類かの味のカンパーニュをスライスし、野菜のみでつくったウチのスープと共にいただく軽食、などといった料理を提供しながら、カンパーニュやライ麦パンを販売できたらいいな、と思っている。(乳飲み子を抱えて誰がそれを店頭で作るのか、という論争が、夫婦間で早くも始まっている)

ここはカフェ機能を持ってはいるが、ランチは基本的に出さないショップ。器をはじめとするいいデザインの生活用品や衣類、四国でつくられてるお茶や珈琲、焼き菓子などの美味しいものも取り揃えている。
内装も、「ああ、この聚楽の壁は元からあったのをそのまま使ってるんやなあ。よく端っことかが欠けずにうまく残したままリノベーションしたなあ」というところもあれば、「おお、ここは思い切ってぶち抜いて改装したなあ。かつ新たに打った土間コンと足場板のフローリングのレベルをここで合わせてるんか。うまいことコスト抑えたなあ」というような、「残すべきところは上手く残して、やり変えるべきところは思いっきりやりかえる」というところが見えて、かつ世界観は芯がしっかりと立っていて、個人的にはとても好ましい場所だ。

よそのお店なのだが、店頭に立ってお客さんに挨拶をし、簡単な会話も合間に少しずつ挟みながら、かといってお客さんの買い物の邪魔をできるだけすることなく(僕は服屋さんの「サイズ見ましょうか?」と言いながら頼みもしないのにやってくる店員が大嫌いなので)、パンを売った。

結論から言うと、今日はあまりパンは売れなかった。たぶん、なのだけれど、今日はお客さんが少なかったと思う。昨日から学生たちは冬休みに入ったから、家族連れが多いかも、とか思っていたけれど、蓋を開けてみればそうではなく、むしろカップルやお一人の方がなにやら「誰かへのプレゼントを探してる」ような面持ちで商品を物色されているように見て取れた。たしかに明日はクリスマスイブ。プレゼントを探すのは今日を置いて他にはない感じだ(むしろ遅いくらい)。

なので、パンを目当てに来てくださる人など、まあ少なかった。まずそもそも僕の告知が全然できていなかった、というのも大きい理由なんだろうけれど、とにかくお客さんはおそらく少なかったんだと思う。とても静かでゆったりした時間を過ごした。

 

で、そんな時間を過ごして今日一番強く思ったことは、「お店を開く、ということは、どんな状況があったとしても、ずっとそこに開店して居続けなければならないんだな。とにかくお店を開け続けること、とにかく笑顔で楽しく楽しそうにお店を開け続けることこそが、大切なんだな」ということだった。

お客さんが多すぎてパニックになるくらいだったとしても、閑古鳥が鳴くくらい人が来なかったとしても、ボウズだったとしても、それでもずっとその場所でお店を開き続ける。そうしないと、だれがどこでどんなものを売っているのか、ということが、誰にも伝わらない。どれだけ、どんな方法で広報活動をしたとしても、いちばん大事なのは「その場所で常に人を迎えている」ということに勝ることはないんだと思った。そしてそれを続けることこそが難しい。それを「努力」という言葉では単純にくくれないと思う。

 

「その場所で常に人を迎えている」ことを、楽しめる。そこがいちばん大事なんだと思う。本当に「好きでやってること」だったら、それを「努力してる」と考えもしないだろうから。

思考の酵母: