男達の不安

in 思考の果実

で、今日次男が産まれて、妻は5日後の日曜日まで助産院に入院することになった。当然のことだ。

今日は5時半に帰宅し、10時に和貴に起こされ(泣かれて)、15時くらいまで食べ物やDVDでなんとか和貴の不安をごまかしながら、仕事をした。
それから助産院に向かい、18時前まで4人でくつろいだ。みんなの写真を撮った。
楽しかった。

 

今回の出産での入院について、僕ら夫婦の間で「もしかしたら」「いやもしかしなくても当然そうだろ」的な、口に出すまでもないけれどそこはかとない不安が、ひとつあった。

「はたして和貴は『母と一緒に居ない』という生まれて初めての状況を、受け入れることができるのだろうか」

 

僕はうっすらと、しかしずっと、それについて実は不安に思っていた。年度末に仕上げねばならない3冊の本づくりの仕事や、来週月曜に迫る確定申告も、たしかに不安要素だ。しかし、我が家にとっての今の最大の不安は、和貴の精神状態ではないか。
まるで不吉な薄い粘膜が僕の身体をうっすらと覆っているかのように、その不安がずっとうっすらとまとわりついていた。

助産院を出て、和貴の希望どおりラーメンを食べて帰宅した。いつもどおり和貴と一緒に風呂に入り、歯磨きを済ます前に寝室でいつも以上に派手に布団で遊んだ。寝る時間が来たので歯を磨いて、床についた。

ついてから、

「おっ、おおっ、おおかかぁさんがぁ、いないのがぁ、すごくさびしくてぇ、すごくかなしくてぇ!!大好きで大事なおかあさんがあ!! いいいっしょに居ればよかったああ! あそこ(助産院)を出なかったらよかったああ!! なんで帰ってしもたんやぁああ! おおおとととうさぁん!今からあそこ(助産院)行こう! 着替えるからああ!!(普段ロクに着替えないのに!)

と予想を遥かに裏切って布団の中で号泣。(これを書く3時間前)

 

うわぁ……。

 

瞬間的に、どこまでが「甘やかし」で、どこまでが「相手を尊重する」なのかって、実際にそんな状況にならないとわからないな。と率直に思った。

正論では「そんなこと言っても、お父さん仕事あるし、確定申告もあるんやから、もう日曜までフルで働かないといけないの。もうムダな時間無いの。だからそんなわがまま言わないで。仕事(=生活)の邪魔しないで」となるんだと思う。
本当は、明日の朝に緊急枠で市の託児センターに和貴を一日中預けて、ずっと仕事と確定申告をしようと思っていました。明日も明後日も明々後日もそうしようと思っていた。

でも、さらに瞬間的に、
「もしかしたら、『母が居ない』という初めてのこの状況で、さらに父からも『ほったらかし』にされたとしたら、それは僕らの予想を遥かに越えて、この子にとって『傷』になるのではないか?」

とも思い、そして、
「僕はそんな選択をするために、勤め人生活を自ら辞めたんだったっけ? 自分達なりのしあわせな暮らしをするために、自分で自分の仕事をすることを選んだんじゃなかったっけ?」
「『自分のしあわせ』じゃなく、『自分たちのしあわせ』を選んだんじゃなかったっけ?」

と思った。
だから明日からは…。

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