連続対談「つくるということ」によせて

in 思考の酵母

ここ3年余りで、レクチャーや対談、ワークショップなど公の場での講演活動を沢山やりました。大小含めば100を超える回数です。制作を主な仕事とする僕にとっては、異常な数です。僕の半端なキャリアや一時の認知度と、デザインやアートディレクションという領域の仕事が注目された時流と重なって、そんな状況にあったのだと思います。デザイナーが人前に出て壇上で話をすることは、なにか筋違いとも思いつつ、直接的に不特定多数の観客と関わることは新鮮な体験でした。やり直しがきかない「ライブ」という伝達手段への興味も手伝って、時間の許す限り、そのような依頼を引き受けてきました。(もちろん、販促や仕事の宣伝効果という目論見も少なからずありましたが)

僕がつくるということを仕事にして、15年ほど経ちます。七転八倒しながらなんとか社会の隅っこで、食べていけるようにはなりました。しかし、自分のこれまでの仕事を顧みれば、何か大きなものが欠けているように感じてなりません。それぞれに懸命につくったものであることは確かで、少なくない愛情もあります。それでも、今の制作態度、技術では、近く限界が来るように感じています。

デザイナーという仕事の多くは商業と密接に関係する仕事なので、社会と協調しながら、デザインの生産体制をつくり、利益効率を優先する仕組みをつくることも可能です。しかし、それだけでは回収しきれない仕事でもあります。どんな目的があれ、どんな機能が付け加えられても、それまでに存在していなかった「なにか」を立ち上げなければ、ある種の引力を引き起こすことはできません。

これはデザインの分野に関することだけではなく、あらゆる「つくること」に通じることだと考えています。ただ、一つの専門的な技術や方法に深く潜り込んでいかないと見えない、専門の先にある普遍的なものがあるように感じています。僕はいま、それに触れてみたい。できることなら、自分の手をとおして目に見えるものとして立ち上げたい、という欲に駆られています。

僕はもうすぐ36歳になります。平等に言って、中年です。まだ若いとは言えなくはないですが、ものをつくる上で、今しか鍛えられないものがあるように感じています。肉体に例えれば、持続性のある筋肉のようなものを。それを鍛えるには、もうあまり時間がない、そんな切迫感の中にいます。そして、それはおそらく一人でしかできない種類のトレーニングです。

そんな中で、公開で講演や取材をしばらくお休みしようと思っています。「有名人気分でメディアに出たり、先生気取りでおしゃべりしながら、筋トレに集中できない」からです。しかしながら、これまでにしゃべり散らした責任と、もはや仕事の一部と化していた講演活動の括りに、自分の本当に聞きたい、話したいことで終わりにしたいと思いこの連続対談を企画しました。本を売るための話でもなく、営業用のおしゃべりでもありません。なにかの解説でも紹介でもありません。しっかりとした「筋力」をもった方々と改めて話したい。そういった個人的で切実な欲求からはじまるものです。

ご登壇いただく方たちは、単に「好きなものを創った尊敬する人」では、言葉が足りません。作品への敬意は前提ですが、それだけではなく、同時に不快感や敵愾心、疑問や懐疑を感じ、僕を揺さぶり続けている方々です。そして、ぶれない一貫した姿勢をお持ちの方たちです。対談のテーマは「つくるということ」。加えて言うならば「孤独と戦うことは世界と戦うことでもある」ということです。
正直なところ、どんな内容になるかはじめて見なければ、僕自身にも分かりません。が、討ち死に覚悟で本気で話します。予定調和にはなりません。

多くの方にこの場を共有していただければ、嬉しく思います。

連続対談「つくるということ」によせて ー菊地敦己