一年の計は元旦にあり

in 思考の果実

「一年の計は元旦にあり」ということで、今日のこの日、人は誰でも何かしらの目標を立てようとしているんじゃないかと思う。僕も毎年そう思い続けているものの、朝からおせち料理で酒を飲み、夜までずっと飲んでる1日になるので、目標を立てるのは「2.3日後に改めて」になってる場合が多い。むしろ正月ほど「やろうやろうと思ってはいるけれど『はじめの一歩』が出せない日」は無いんじゃないかと思う。(だって仕事の連絡が絶対に無いし、朝から酒飲んでても許される日って元旦くらいだから)

でも。でもだ。僕は今日「一年の計」を立てた。プライベートな面と、仕事の面と、家庭の面の3種類で。

そして、ここにプライベートな一年の計を書いてみる

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一年の計(個人の部)
・メールを使った日記を毎日つける。
・ブログをほぼ毎日つける。
・日々の考え事はA4のノートに丁寧な字で書く。
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まずはじめにメール日記。
なぜ日記をつけるのか。それは日々の記録をして見返すためにつけるものなんだ、と考えた。
たとえば今何か問題が起こってるとして、その解決方法が過去の経験の中にあるのなら、見返すことで解決に大きく前進するはずだ。また、記された去年の今頃と今を比較することで、今の状態がどういうものなのかを推察する、ということもできる。そんな、「日々の行いのデータ集積」のために書くものだと考えた。

でも、だとすると、見返すにあたってふたつの欠点があるんじゃないかと考えた。ひとつは「自分の字が後から読みづらい」ということ。書いてる時は気にならないのに、後から見返すと自分の字なのに読みづらい。読みづらいと読み返す気がしなくなる。これではダメだ。
もうひとつは「問題解決の糸口的経験をすぐに調べ出せない」ということ。実際の体験から言うと、たとえばウェブ制作をしていてうまくいかないコーディングがうまくいって、それを詳しく日記に書いたとする。後日、同じ状況になった際「あれどうやったっけ?」を何冊もたまっていく日記の中から1ページ探し当てる。それがとても難しいんである。5月だったか6月だったかなどという季節感も曖昧になりがちだし、下手したら一昨年の作業を去年と勘違いしてしまうことだって往々にしてある。帳面の集積だと意外と過去を探りづらい。

そこで、日記専用のメールに毎日日記を書いて、そのメール自身に送って、受信フォルダに日記を貯める、という方法を考えた。これだと「字が後から読みづらい」わけがない。むしろ読みやすさは最良だ。そして、受信フォルダの中で文字を検索すれば、知りたい日の知りたい内容が一発でわかる。「あのテクニックはたしかあのお客さんで使ったっけ?」くらいの朧げな記憶からすぐに答えを割り出せる。さらに、複数のPCに受信して蓄積できるから、どこででも見返せる。日記はメールが最適だ。去年はそんなメール日記の仕組みを考えて、就寝前に書いていた。

しかし。しかし去年メールを打ち続けていて、日記を書くという行為自体に「続けにくい原因」があるんじゃないかとさらに考えた。

それは「悲しいことがあった日は日記を書く気がしない」ということなんです。

帳面だろうがメールだろうが、やっぱり悲しかったり辛かったりした日はできたら夜中に思い返したくない(寝る前に書いてる)。そのまま寝てしまいたい。特に今年は11月から息子の体調が激変して、毎日が地獄すれすれな日々が続いている。こんな状況を就寝前に改めて思い返して記述するほど強いハートは持ち合わせてはいなかった。

でも。今年はそんな日も日記を書こうと思う。悲しい日や辛い日ほど、未来に見返すと強い武器になるはずだから。未来に同じ轍を踏まない確率がグンと上がるはずだから。
だから今日から日記は毎日書こう。これが今年の一年の計のひとつ。残りのふたつはまた明日。

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