糸井重里さんが論じる伊丹十三

in 思考の酵母

糸井 僕は、育ちが「落語・漫才」なんですよ。

いや‥‥「育ちが」というとヘンですけれども(笑)、テレビのない時代から生きてるわけです。つまり、家庭内の娯楽が「ラジオ」だった時代。そのなかで「落語」というものが、本当に好きだった。

たぶん、そこで「耳から聞こえてくる言葉」が僕をかたちづくる原料になったんですね。

もちろん、若い時期ほど教条主義的ですから、むつかしい「書き言葉」に憧れた時期もあるんですよ。

でも、本を読んで、何が書いてあるかわかんなくても、それって、なかなか人に言いづらいじゃないですか。

たとえば「植木等さんのテレビドラマ」のおもしろさはあれだけわかるのに、むつかしい「書き言葉」の「本」を渡されると、もう、よくわかんなくなっちゃうんです。

そんな「コンプレックス」のようなものを持っていたときに、伊丹さんの「話し言葉を文章にしたエッセイ」があらわれたんです。

もちろん、それまでにだって、似たようなものはあったはずなんです。つまり、座談会とか対談記事なんかの類はいくらでもあったんでしょうけど、伊丹さんの「話し言葉」は、まったくちがったんです。

「話し言葉」のなかにある「冗長性」といいますか、無駄な小骨だとか、はらわただとか、血あいだとか‥‥魚でいえば、そういう部分をわざと「飾り」のように残しておく‥‥といいますか。

でも、それが実は、「読みやすく整理された文章になってる」ことには、あとから気づくんですが、「これって、ありなんだ‥‥」って思ったときには何ていうんでしょう‥‥興奮したんです。

興奮して、自分でも、やりたくてやりたくてしょうがなくなったんですね。

で、20代半ばくらいのときかな、原稿用紙4枚ていどのエッセイを頼まれるようになって、それをやったんです。

「書き言葉」と「話し言葉」を、ごちゃまぜにした。

やってみて、何がよかったかというと「ロジックで追い込んでいって、結論を出す」なんてことをしなくても、「ま、そんなこんなで」って書けば済んじゃう(笑)。

そして、自分の「思い」を間にはさめた。

これはもう、伊丹さんが「ま、そんなこんなで」とやってくれたおかげです。

実は、伊丹さん以外にも、ぼくにとっての「先達」がもうひとりいるんですが‥‥とにかく、助かりました。

「あっちの敷地に3坪ほどあるから掘立小屋でも建てなよ」って言われたくらいの‥‥何だろう、「場所」をくれたって気するんですよね、伊丹さんが。

僕というものを、生かせる場所を。

ほぼ日刊イトイ新聞 – 第1回伊丹十三賞をいただいた記念に『考える人』松家仁之編集長とトークショーをさせていただきました

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