仮説とトライの夏【2】

in 思考の果実

神山に引っ越し、はじめて自宅と職場を切り分けた。そんな5月から7月にかけては、たびたび大阪へ打ち合わせや取材、イベント出演で出張していた。
大阪に朝9時に着こうと思ったら、だいたい5時に起きてクルマで家を出る必要がある。1回行くのに複数の予定を詰めたりしていたので、神山に帰ってくるのも当然夜中。長男の体調とそれによる妻の負担を考えたら、大阪に宿泊して午前に帰るという選択は無かった。暴れる長男を押さえながら2人を保育所に送り迎えをしたり、食事を食べさせたり、風呂に入れたり寝かしつけたり。それは絶対に負担が大きいだろうと思っていた。

しかし、そんな出張から帰ってきて妻に様子を聞くと、決まって「お父さんが朝いないことにパニックになるけれど、落ち着いたらそこからは逆に弟の世話をしたり、あたしの言うことを大人しく聞いてる。なぜかわがままが減ってる」というのである。

ええっ?なんで? なぜかは誰にもわからない。お父さんがいないという状況で、「ぼくが弟やお母さんを支えねば」みたいな感情が芽生えてきているのかもしれない。家で働いていると、朝も夜も「お父さん遊ぼう!」「お父さん抱っこして!」と極めて激しいかまってちゃん状態なのに、いないといないで自立モードが立ち上がるものなのだろうか。

また、子どもを寝かしつけてから夜遅くまで家で仕事をするのが肉体的にきつく感じるようにもなってきた。環境の大きな変化に僕自身も気が張り続けていて疲れやすくなっているのか、とにかく22時を過ぎると眠くてたまらない。体調不良か?それとも老化か?そう思うようにもなった。

しかもこの夏はとあるボリュームが大きすぎる仕事をしていて、それも常に遅れているような状態になっていたので、「もう就寝時間以外は働かないと!」という気持ちでいっぱいだった。

そういう状況から妻は「アンタができるだけ家に居ないほうが、和貴はきちんとするんじゃない?アンタが居るから甘えて駄々っ子になってるんじゃない?そもそも仕事もさらに頑張らないと」と僕に提案してきた。もう毎日朝目覚めたら父は居ないほうが、少なくとも私は楽かもしれないし、仕事時間も稼げると。

そこで7月からは、
「5時〜5時半に起きてすぐに職場に行って、職場でひとり朝食を食べて働き続ける。18〜19時に帰宅して、子どもと同時に就寝」
というタイムテーブルに変えた。朝方に変えたのだった。

5時起床。すぐに圧力鍋でご飯を炊き、洗濯機を回して自分の朝ご飯をタッパーに詰める。時として納豆やミルで挽いたコーヒーもカバンに入れて、自転車もしくはジョギングで4kmくらい離れた職場に向かう。
昼食時には家に走って帰る。ご飯を食べ終わったら走って職場に向かう。
もしも朝「息子たちが保育所行くの嫌がってる!」という妻からの連絡があったら、その都度9時前に走って家に帰る。無事送れたらまた職場に走って戻る。
真夏に1日3往復もジョギングするのは不可能だとすぐに思い至り、自転車を職場に置いて昼は自転車で行き来する、など試行錯誤を繰り返した。
(雨の日はもちろんクルマで出勤)

7月、8月はずっとそんな毎日を過ごしていた。朝6時にコンプレックスの鉄扉をガラガラと開けて仕事をしていると、前の道を通りかかる人や向かいの宿泊施設「WEEK神山」に泊まっている人たちが「マジで?」みたいな視線を投げかけてくれる。興味を持ってくれる人はそのまま道路から話しかけてくることもしばしばだった。
特にこの2ヶ月は月曜から日曜まで、お盆以外は本当に毎日朝6時には仕事をしていたので、シェアオフィスのルーキーなのに「本当にいつも早朝からいるって、ちょっとおかしくないか?大丈夫か?グラフィックデザイナーってみんなこうなのか?」みたいな声をいただくようにもなった。

夏の6時過ぎの写真。この鉄窓の向こうからはじまる、WEEK神山で朝風呂から出た人や、道路を通る人との出会い。

夏の6時過ぎの写真。この鉄窓の向こうからはじまる、WEEK神山で朝風呂から出た人や、道路を通る人との出会い。

そして、思っていたとおり、コンプレックスに入居することによって本当に様々な人達と知り合うことができた。入居者、カミヤマメイカーズスペースに関わる人達、県庁や町役場の人達、WEEK神山の人達、林業関係の人達まで、本当に幅広いつながりを持たせてくれた。仕事はウルトラマラソンでも走り続けているような気分だったけれど、苦しくなかったとは言えないけれど、とても楽しい夏だった。(【3】に続く)

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