仮説とトライの夏【3】

in 思考の果実

神山に引っ越して、コンプレックスに入居して3ヶ月後の9月。いろいろあって、半ばから妻がバイトに出かけるようになった。すると今度は一転して僕が息子たちの朝の準備から送迎までするようになった。

朝ご飯を炊いて、子どもたちに食べさせて、鞄に必要なものを入れて、三人乗りの自転車もしくは徒歩にベビーカーで送る。保育所ではよそのお母さん方とちょっとした会話を楽しみ、家に戻ってきてから掃除と洗濯をする。昼に妻が昼食を食べに帰宅するので、ふたりで昼食を食べて、必要があれば僕がクルマで妻の職場まで送ったりする。その際は16時の終業時に迎えに行ってから、17時に保育所に子どもたちを迎えに行く。5時半にこっそりと家を出たりはしなくなった。9月に一気に主夫度が増す生活サイクルに変わった。

すると「職場に行く時間がつくれない。行っても2〜3時間しか働く時間がない」という状況になってしまった。朝に子供を送り出して家の片付けをしたらだいたい10時。12時過ぎには妻が帰宅するので、2時間だけ4km走って通うのはちょっと時間がもったいないのではないか。また、13時半くらいに妻を職場に送って、16時にまた迎えに行くので、その間も2時間半くらい。それもなかなか微妙ではないか。
あんなに毎日朝日を見ながら走って通ったのに、今は仕事の合間に家事をこなす日々となったのであった。

そんな日々が1週間ほど続くと、今度はなんと長男が変化しはじめた。目覚めたら隣に父がいるという状況が9月に訪れるようになり、急激に安心するようになったのか(むしろ今まで頑張らねばと無理をさせていたのか)、今までの「キレながら目覚める」「目覚めてからグズる」が激減したのだった。普通に笑顔でおはようというようにすらなりだした。考えられない好転具合だった。

それどころか一昨日など、朝6時半に「カチャカチャ」という金属音で目が覚めたので、音がする台所の方に行ってみたら、和貴がひとりで台所のハサミを持ち出して、チラシを切ったり絵のようなものを描いたりして遊んでいるではないか。驚いて尋ねてみると「ひとりで目が覚めたからひとりで遊んでた。起こさんとこうと思った」と応えるではないか。
これには心底驚いた。あの和貴が、悪魔に取り憑かれたようなサイコな動きを毎日見せていた和貴が、「面白いことがあるから」という理由で、親に甘えもせずひとりで遊んでる。
そこにはもう「父がいてもいなくても安定している、自分が楽しいと思うことに集中しようとしている和貴」がいるではないか。

ようするに振り返って何が言いたいのかというと「家族みんなの状況に合わせて、営みかたを常に変えていく」ことを大切にしたい、ということなのです。
変わらない人はいない。変わらない場もない。「今、家族ひとりひとりはどうなっているのか」を常に見ながら、そして話し合いながら、仮説を立ててはベストな在り方をトライしていく。トライして違っていたら、合っているところに修正する。そうしているうちにまた好転するだろう。逆にアクシデントが入るかもしれない。だったらまた働き方の仮説を立ててトライしてみる。「父がいないほうがいい」と仮設を立てたのなら実際にやってみて、し続けるうえで変化が起こったら違う行動をまたトライしていけばいい。

そんな働き方というか、仕事以外の日常全てを含めた『営み方』が家族で気軽にトライしやすい状態。それって実はとても幸せなことなんじゃないか、そう思うようになった。

そして今日で10月になった。今月で、いま妻のお腹の中にいる第三子も安定期に入るらしい。そうなるとまた僕らの営み方がぐんぐんと変化していくんだろう。ますます引きこもるのかもしれない。でももっと仕事にモテてるのかもしれない。違う仕事も始めてるのかもしれない。どんな未来になるのかはわからないが、仮説とトライを繰り返す家族であることは、間違いない。(終)

思考の酵母: ,