パン屋がはじまる(2)

in 思考の果実

パン屋をするにあたって、やってみたいことは「自家製の天然酵母でパンを焼く」ということだった。

今から5年前、妻が長男を出産してから「パンにこんなに添加物があるとは!」と言い出し、良いパンを安く食べるには自分で作るしかない!と言い出して、図書館から酵母の育て方が載ってる本を借りてきて、酵母を育て始めたことがそもそものきっかけだった。あくまで最初の動機は健康的な理由もあるが、経済的な理由のほうが大きかった(お金持ちだったら自家製酵母のパン屋から毎日買ってればよかったから)。

それから妻がパン焼きにハマり、あまりにハマりすぎ捏ねすぎて「もう両腕が上がらねえよ…!!もう肘が…!!」みたいな高校球児みたいなことを本気で言い出しはじめ、「アンタも捏ねろよ」と言われて僕も捏ね始めたことが、僕も焼くことになったきっかけだった。

僕個人としては、イースト菌がそんなに悪いとは言わない。妻は「イースト菌の匂いが嫌で良くない」と言うが、僕は言わない。某ドライイーストチックなドライ天然酵母も、僕は同じような匂いを感じていたから。編集ピザという活動でちょっとだけドライ天然酵母を使う時があって、その時の匂いがそうだった。「できるだけトライしやすかったり続けやすい状況をつくる」ための「システム」としての培養物は必然性は高いけれど、イーストもドライ天然酵母も五十歩百歩じゃないか、と思っていた。

ただ、イーストでいこうとは思わないのは、ただただ自然の食べ物から酵母を起こして、泡がシュワシュワと発泡して「ああ!こいつら!目に見えないこいつら生きてる!」というあの感触が楽しいのと、その酵母に小麦粉を加えてつくる「元種」というヤツを育てるのがとても楽しいと感じるからだった。男子ならではの「飼育感覚」がよこしまにパン作りにプラスされてる。そんな感じだと思う。

また、パンを焼くということは、カメラで写真を撮るということに似てると思う。写真は「選択の芸術」とよく言われる。どんなカメラで、どんなレンズを使い、どんな光のもとでどんな露出とシャッタースピードで、どのように撮り、どんな紙でどのように現像するか。単にアーティストの感性というあやふやなものを源にしているのではなくて、すべてはひとつひとつの選択の結果としての芸術であるという考えかた。それとパンを焼くことはとても似ていると感じた。

どんな小麦を使うのかによって出来上がりは違う。黄色人種と黒人や白人は運動能力が違うように、北米産の小麦と日本産の小麦とでは同じ焼き方で焼いてもぜんぜん違う。何度で何分で焼いても当然違うし、焼く時に蒸気を与えるのか与えないのかでもぜんぜん違う。もちろんどんな果物や食べ物から酵母を起こすかによっても、味も仕上がりもちがう。生地の配合はおろか、水分量が違うとぜんぜん違う。糖分・油分の有無でも違うし、梅雨に焼くか年末に焼くかでも同じようには焼けない。
数多ある選択の結果、「これこれ!」という美味しいパンに辿り着ける。そこが面白いところではないのか?と今は思っている。

で、この5年間、いろんな果物で酵母を起こしてはパンを焼いて食べた。レーズン、林檎、イチゴ、みかん、梅、ヨーグルト、ハーブ、野菜、ライ麦。みかんはえぐ味のようなものがあってちょっと向いていないことがわかったし、キウイフルーツやパパイヤは「パパイン」という酵素が入っていて(お肉を柔らかくするやつ)酵母は起こせるがパンを焼くとグルテンというタンパク質をダメにしてしまい、全然膨らまないパンができあがることなどわかった。

自家製天然酵母をいろいろ育てていて、妻は特に言わないが僕は特に考えてしまうところとして、「継ぎ足しがむずかしい」というところがあった(妻は「別に継ぎ足さなくてもいいじゃない」という考え方)。
僕は酵母をずっとずっと継ぎ足していきたいと考える。でも、レーズン酵母やリンゴ酵母は、継ぎ足していったとしても、いつかどこかで酵母が古くなるのかなんなのか、「酸っぱいパン」ができあがってしまうのだった。どうしても永久機関のように継ぎ足していくことができない。ずっと安定して酸っぱくならないパンを焼きたい。僕が興味があるのは永久機関の方で、ずっとずっと酵母を継ぎ足せて、かつイーストやドライ天然酵母のような「楽さ」を兼ねそなえる新しいシステム的な酵母づくり。しんどいのは好きじゃないから。もしもそれができたら、無駄もなく飼育感覚も強くて楽しいじゃない? と思うようになっていた。

妻は妻なりに酵母を育てていて、僕は僕なりに酵母を育てた。妻はいろいろバラエティに富んだ酵母を育て、僕は妻がチョイスする酵母の中で「これは永久機関候補になるかな?」という酵母を試してみたりしていた。

僕が最終的に永久機関チックに使えると実感したのは玄米甘酒による酵母だった。僕は実は甘酒をつくるのがなぜか得意だった。妻が麹とご飯で甘酒をつくっても何故か上手くいかず、僕が同じ材料と同じ道具を使うといつもうまく甘酒を作ることができて、甘酒作りはずっと僕の担当だった。甘酒も発酵物なのだから、それに水を加えて酵母にしたら、元気なパンができるんじゃないか? 糖分そのものだから甘くてやわらかいパンができるかもしれないし、と推理した。
そして、普通の麹による甘酒より、玄米麹による甘酒で酵母を起こしたほうがよりパワフルじゃないか?栄養分も高めっぽいし、と思って玄米麹から玄米甘酒をつくり、それから酵母を起こして元種を作ってパンを焼いた。すると、とてもフカっとはち切れる元気なパンができた。今年は9月からずっと玄米甘酒を継ぎ足しているが、全く酸っぱいパンができてしまう兆しがない。全て酸っぱくない。

これならば、自家製天然酵母でも製造コストが安く抑えられるはずだと考えた。「いいものは高い」というジレンマを払拭できそうに思えた。賭けるに値するバクチが打てるような気がした。

それで、玄米甘酒酵母で小さいパン屋をやれる算段がついてきた。

じゃあ4K映画祭でどんなパンを焼くのか。どんな種類のパンを、どんなサイズで、いくらで売ればよいのか。それをずっと考えてた。

そんな中、妻が突然「売るならボカリージョやで!」と言い出した。
(つづく)

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