思考の酵母 ‘編集’

ログミーの長文コンテンツが読まれる背景

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川原崎 ログミーの当初の動機は「動画を見るのが面倒だから作った」だったんです。しかし、後からいろんな人が「全文書き起こし」にいろんな意味付けをしてきたんですよね。例えば「メディアによる編集を省くことで捻じ曲げられていない本当の情報を伝える」とかですね。最近すごく感じているのは「なぜ全文書き起こしみたいな長い文章をみんな読むんだろう?」と。でもこれは、テレビが嫌われていることと同じ理由かなとも思っているんです。要するに、編集物に対する気持ち悪さです。生放送のほうが好き、素人がダラダラしゃべっているのを見るほうがおもしろい、というものですね。

青木 わかります。

川原崎 「では、編集の役割とは?」となった時、究極は映画のような超リッチなものを作って、ユーザーを2時間も映画館に縛り付ける、その上お金をもらうようなコンテンツを作るやり方。そしてもう1つが、編集されていながらもナチュラルに見えるものを作る。それでいうと「北欧、暮らしの道具店」のやり方はすごく似ているなと感じました。

青木 今おっしゃった「編集物に対する不信感」は、おそらく「個人の内発的な動機づけ以外のもので生まれるコンテンツに対する不信感」とも言い換えられる気がしています。だから、僕らの「個人動機駆動で……」の話になるのは、それ以外のものに対する不信感があまりに大きいからですよね。それ以外のものでやる長期的な合理性がないんです。それでいうと、僕自身が「どうしても個人の動機づけでやりたいんだ」ではないんです。根本的にいうと、合理性のあるものをやりたい。合理性があり、難易度の高いものを美しく作りたい。それだけなんです。

川原崎 そうですね。

青木 目的に対する手段の選択を、それほど意識していないというか。でも、今の世界の中で最も合理性高く美しくやろうと考えた時、おそらくそれは整合性をとれるエコシステムになっている。それは、やっている本人がつじつまを合わせようとすると成立しないんですよね。

「変数が多いのに矛盾していない」事業を目指す クラシコム・青木氏の経営観 – ログミー

大量生産メディア時代の終わり

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複雑なものを、複雑なまま評価すること。こんな当たり前のことが、ようやくできる時代になった。安価かつ大量生産されるメディアを一般大衆に届けることで成り立っていた出版産業(週刊誌、文庫、新書など)の全盛時代は、終わったと言ってもいいと思う。これからは「限られた人に、限られた情報を届け」、メディアを媒介に人や情報の多様な流れをつくる時代ではないか。

商業出版に携わる編集者がこれまでやってきたことは、専門分野の著者の言葉を、大量生産メディアを通じてより多くの人々(大衆)に届けるという仕事だった。しかし、これからの時代の編集者の仕事は、ある限定されたコミュニティで交わされる情報の流路やメディアのかたちを戦略的に生み出していくことだと思う。

本誌編集発行人の仲俣暁生さんと一緒に、昨年よりローカルメディアにまつわる講座を続けてきたが、その流れの中で、地域デザイン学会でローカルメディアフォーラムというものを立ち上げることになった。12月2日には、荻窪・6次元で第一回目のフォーラムが開催されるので、ご興味ある方はぜひ参加してもらいたい。

ローカルメディアの隆盛は、一過性のブームではなく、マスメディア研究の枠内を超えて、「人間の感覚を拡張する技術」としてのメディアの本質を指し示してくれるものだと思う。僕たちは、情報を一方的に大衆に届けるマスメディアを前提とした「メディア」の考え方を捨てて、人と人が相互に情報を交わし、異なるコミュニティをつなぐ広義の「メディア」を考えるフェーズに立ち会っている。「ローカルメディア」のブームは、メディアの価値観を新たにするためのきっかけにすぎない。ツイッターか、インスタグラムか、などなど、1〜2年で覇権が入れ替わるソーシャルメディアの勢力図に右往左往している場合ではない。

群雄割拠のメディア戦国時代を楽しく乗りこなしていく、そんなツワモノが各地で生まれては消えていく、それらの生を看取り、場合によってはプレイヤーとしてアリーナに参戦する、そういう、編集や出版の仕事にこれからも携わっていきたい。

 

第7回 地域のクリエイティブはどこにある? マガジン航[kɔː]